2段審査に合格されましたMさんの感想文
3月23日
「弐段審査にあたり」
1.この度、弐段昇段を機に、自分の合気道を振り返る機会を与えられました。
弐段審査を前にして、そして弐段審査を終えての私の心境は、3年前の初段審査時とは大きく異なるものです。初段審査はその当時の自分にとっては大きな区切りであり、それまでの集大成として審査前には大いに緊張し、審査後は大きな達成感を感じました。
他方で今回の弐段審査は、あれほど受験資格充足まで指折り稽古日数を数えてきたにもかかわらず、いざ受験となると、自分の中では「区切り」ではなく「通過点」の感が大きく、自分でも意外なほど特別な感慨が乏しいものでした。
審査に臨んでは、審査いただく須磨先生に個々の技の出来栄えというよりも、もっと総合的な自分の現時点でのありのままの合気道を見ていただく、そのために自分の気持ちを全部出すというような心境で臨みました。今審査を振り返って、自分の気持ちを出せるだけ出すという点のみは満足のいくものでした。
2.以下は私の現時点での合気道に対する思いを、半ばは自分にとっての記録として列挙致します。
(1)稽古において目下のところ私の最大のテーマは、須磨先生の仰る、自分の中心を守り、お腹(丹田)から技をすることになります。以前は様々な技の形を習得することが大きな関心事でしたが、現在はそれよりも、どの技にも共通するであろう姿勢、重心、間合い…に最も関心があります。
入門して直後に、技のバリエーションに圧倒されていた私に対して、I先生が「技は様々に見えるけれども、結局はどれも同じです」という意味の言葉を掛けてくださいました。今になって僅かながらも先生のお言葉の意味がわかるような気がします。
(2)初段昇段の頃から、道場の先輩であるOさんの自主稽古会に加えていただき共に稽古しております。そこで学んだものは数えきれないのですが、特に剣、杖を振る機会を多く与えられました。普段より須磨先生も、剣、杖の稽古は体術のための稽古と仰っています。自分の中でも、剣、杖と体術との繋がりを折々に感じることが本当に面白くてなりません。剣や杖の振りが、現時点での自分の技の大きな軸になっていると感じています。とは言え、剣にあたる右手の意識、力が強すぎて、左手が留守になりがちなのが目下の課題ではあります…。
(3)最近、より良い受けを取りたいなという受け身に対する興味が大きくなってきました。これまでの自分の受けは、とにかく角真正面から取る、自分の中心を相手にしっかり当てるといった「まっすぐ」、「しっかり」一辺倒だったのですが、もっと柔らかい、滑らかな受けを取りたいなとの思いが芽生えてきました。
これは道場の諸先輩方の滑らかでしなやかな受け、柔らかくもしっかりとした弾力のある受け、スピーディーでかっこいい受けを目の当たりにし、またそんな受けを取っていただくなかで湧いてきた思いです。特に、この点はまだまだ発展途上で、成長の余白が無限に広がっています。ちなみに、飛び受け身が、ほんの少し飛べるようになってきました・・・。
(4)入門当初から稽古の際には目の前の須磨先生やI先生の技を、完全にコピーするべく臨んできました。技の手順を分解し順番通りに一、二、三…と忠実になぞってきました。最近、須磨先生から度々「滑らかに」とお言葉をいただきます。自分でもできるだけ滑らかに、動きを止めることなく、そして大きく技を行うことに取り組んでいます。
しかしそのように取り組む中でも、これまで繰り返してきた手順が自分の身体の中で二の次になるのではなく、確かに体に染み込んでいる事を実感しています。入門当初から自分なりに手順を大切に踏んできて本当に良かったなと思うとともに、今更ながらに須磨先生、I先生の丁寧かつ誠実なご指導の有難みが身に沁みています。
(5)「初段、弐段までは、基本を徹底する。参段からは自分の合気道を作り上げていく。」これは須磨先生から度々いただくお言葉です。私はまだ弐段ですので、これからも基本に留まっていていいんだという安心感が大きいです。しかしそれと同時に、今の自分の姿勢、取組み、努力が、これから先の自分の合気道にそのまま反映されていく厳しさ、怖さも感じています。
3.須磨先生には普段よりご指導を賜りまして心より感謝申し上げます。入門よりこれまで須磨先生を通して私が得たもの、今現在、これから将来に得るであろうものを思うときに、私は、この師を持つ喜びを言葉では表すことができません。
須磨先生が体調を崩されてしばらく稽古をお休みされた際には、自分でも驚くほどに激しく動揺が続きました。改めて、自分にとっての先生の存在の大きさを実感する機会となりました。
先生から教えていただいた数ある中で今、一つを挙げるならば、様々な状況下における、その場、その場での先生の身の処し方になります。様々な技、相手、またそれらに留まらず、私たち道場生との関係、道場の内、外の出来事、如何ともしがたい社会情勢やご自身の体調不良…、どんな時、どんな状況下であっても、それらに柔軟に対応しつつ、同時に自分の中心は崩されない、そして場を主宰、支配される様を間近にするとき、先生は「随所に主となる」境地を目指されているのだと私は感じております。
I先生、諸先輩方、同輩、後輩の皆様にも心より感謝しております。入門より今まで、皆様との稽古で、その受け、取り、言葉・・・から多くの貴重な教えをいただきました。何年経っても残っているもの、何年か経って今になって気付くものも沢山あります。全てが稽古であり、全てに私の合気道が豊かにされています。
先輩方のなかでも、特にO先輩には、常日頃よりはじめ会で真剣かつ楽しい稽古をご一緒させていただき誠に感謝しております。それまでは、須磨先生が示してくださる道を、自分の覚束ない足取りで進んでいるようなものでしたが、はじめ会での稽古を通して、自分の前をO先輩が同じ道を進まれることで、「道の進み方」を学んでいるように思います。どうぞ、これからもご一緒いただければ幸いです!
4.先日の稽古で須磨先生が、今日は型にとらわれず技をやりますと、様々な技を私たちの前で見せてくださいました。どんな技でも臨機応変に自在に変化されつつ、ご自分の中心、軸は変わらないという姿を目の前にして、このような境地があるのだなと、大きな感動を覚えました。そして、唐突ですが、私は「真理は、あなた方を自由にする」という言葉を思い出しました。
どんな制約、状況の中でも自由を失わないという境地が、須磨先生が進まれ、自分も進む道の先にはきっとある、これが私にとっては希望です。自分がそこまで辿り着けるかどうかは全く問題ではありません。それを目指すこと自体が私にとっては喜びです。大いなる希望と喜びを持って、またこれより一歩一歩と進んでまいります。
コメント入力はこちら