お知らせ

2段審査に合格されたTさんの感想です。

4月23日

弐段審査を終えて

弐段審査を終えて、初段を頂いてからの私の思いを綴りたいと思います。私は今まで、一生懸命に日頃の稽古を積めば級位、段位は自然に上がっていくものと考えていました。ところが、いざ段位を頂いてみると「住む世界」が違いました。何の目的、目標も持たずにただ単純に稽古を積み重ねていても、今までのような納得感や満足感はなく、自分と上位者方々の根本的な「心・技・体」の奥行、深さ、高さの違いを感じるようになりました。

そんな折、3年前に東京へ仕事で異動になった為、折角なので合気会本部道場へ通うことにしました。本部では道主を始め、数々の師範のご指導の下、日本人・外人・老若男女を交えた多くの門下生の方々と稽古ができ、大阪合気塾の中だけでは味わえない経験を積むことができました。そんな東京と大阪での稽古を積む中で私が強く思い、感じた事は、須磨先生がいつも仰っている「合気道は中心の取り合いである」ということです。取りであれ、受けであれ、常に中心を意識し、保ち、相手を崩し、攻めに転じるかを「気と体」をもって臨機応変に挑むこと。この気と体の一体感×稽古量の和が、結果としてその人の持つ合気道の技に現れるのではないか?と思うようになりました。特にこの一年間で心掛けてきたことは、相手の中心を自分の中心によって崩し、相手の力に抗わず、削ぐことなく自らの中心から溢れ出る気によって技を完結させる。さらに縦横無尽に、水が流れる如く技を仕掛けていく。

しかし現実の所、相手が上達された方であればある程、それは至難の業であり、逆に中心を取られ、崩され、技にならないという連続で、常にあるべき姿を追い続けています。

また、もう一つ意識していることは「姿勢」と「目付」です。連続する技の動きの中で自らと相手の立ち位置の変化と中心の置き方、さらに全体を見渡しながら技から技に入っていく目付が非常に大事であると感じています。私は姿勢が「猫背」であったり、目線が「手元を見てしまう」という悪い癖があり、なかなか治りません。先生や師範に指導されてはっと気づくのですが、暫くすると元通りの繰り返しでした。今もまだ悪い癖は出るのですが、特に心掛けて直していきたい部分であり、道主を始め、須磨先生を見ていると、その「姿勢」と「目付」そして「丹田から溢れる気」が素晴らしく、美しいと感じます。

開祖、植芝盛平翁の「合気とは愛の力の本にして、愛は益々栄えゆくべし」のお言葉通り、合気道とは決して武勇を競うものではなく、稽古を通して、己自身の人間性を高め、人との和合を追及する愛と誠の武道であると心の底から思います。私はこれからもそのような素晴らしい合気道と共に自らの人生を歩んでいこうと思います。

最後に今まで稽古をつけて頂いた須磨先生始め、大阪合気塾の皆様に心から感謝申し上げると共に、これからも変わらぬご指導とご鞭撻を賜りますよう宜しくお願いします。以上

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