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3段審査に合格されたAさんの感想です。

7月28日

昇段審査を契機に、大阪合氣塾へ入会してから二年以上経ったことを振り返り、考えたことのなかから三つの問題を選んで、述べさせていただきます。

 まず、一つ考えたのは、合氣道では二人の協力がないと技が成り立たないことである。ところが、この「協力」には微妙なところがあります。一方では、相手が協力しすぎると、その技は綺麗すぎて偽物に見えてしまいます。他方においては、相手が全く協力しないと、技が出来なくなり、その上に怪我する可能性も高くなります。そうなると、「稽古」と呼ばれる「受け」と「取り」の交代の繰り返しに、どんなスタンスを取ればいいのでしょうか。つまり、偽物でない、それと同時に怪我のない、いい稽古が出来るように、何をすればいいのでしょうか。

 どこかで聞いて無意識的に取り入れたイメージか、自分で想像したものかが分かりませんが、そこに、「受け」と「取り」を二つの石として考えればいいのではないかと思うようになりました。岩に近い非常に大きい石もあるし、砂ぐらいの小さな石もあります。さらに、硬い石、柔らかい石、様々な質の石もあります。しかし、それぞれの石が互いに磨き合わななければならなく、その最終的な目的は球になることです。近すぎると動けなくなる。遠すぎると接触点がなくなる。両方の場合には磨くことが実施されません。

 大きい石が小さい石を砕くことは出来るが、それで自分を磨くことは出来ません。大きい石は、小さな石も自分を磨くために相当する力を入れなければならないと同時に、自分の技にもプラスになるような練習をしなければならないのです。そのために、ある意味では、子どもと稽古をするのは最も難しいです。

 逆に、子供あるいは体の小さな方も、異なる意味で練習に非常に難しいところがあると思います。体の大きい方の力を直接に返そうとし、全く動かせることが出来なく、すぐ疲れてしまいます。フラストレーションも出てくる場合もあるのでしょう。しかし、とても小さな石が、転がってくる大きい石の方向を変更することがよくあるように、体の小さい方も微妙な位置にいて、強い相手が倒せます。そして、それでその相手を磨くことが出来ます。

 この石と石の磨き合いは、合氣道の稽古によく似ているイメージではないかと考えています。

 二つ目に考えたのは、ほぼ毎回の稽古において須磨師範が言われる「力を抜く!」、「肩が上がらない!」、「体を柔らかくする!」という、実際はよく繋がっていると思う三つの言葉についてです。今年の二月ごろに、高校生の時からたまに痛くなっていた背中の状態は悪化し、二、三週間稽古を休みました。背中の状態が悪化してしまった原因は、毎日の生活のなかの正しくない姿勢でもあったが、稽古中に、須磨師範がいつも注意させてくださる上記の三つの言葉に、よく意識していなかったこともあると思います。

 しばらくして畳に戻ったら、最低の力で相手の手を掴み、腕がないような、帯から引っ張られるような感覚で、腰だけを絶えず動かす、という練習の仕方を数日の間に試みました。その間に、先生を含めて数人の方に「受けは上手になったなぁ」、「柔らかくなったなぁ」と言われ、色々考えさせられました。もちろん、この「実験」の間に、本当に軽く相手を掴んだので、相手は技が優しすぎると思ったかもしれません。しかし、「中心だけが動く」という受けの取り方に、何か本来の、シンプルな、正しい体の使い方もあるのではないかと考え、これからも、相手がひとりで動くかと感じないぐらいの最低の腕の力で、時々練習をしたいと思います。

 では、三つ目です。私が生まれた戦争のない時代に、特に治安がいいと言われる日本で、普段からやっている技に攻撃が前提されていることは忘れがちです。柔道や空手道などのような他の武道とは違い、試合がない合気道には、更にその傾向が出やすいです。例えば、柔道の試合で、いざという時の怖さを、ある程度実感できるのですが、合気道では昇給昇段審査や演武会の時の緊張感しか経験できません。それに対して、合氣道の道を歩いている人は、何が出来るのでしょうか。たくさん稽古すること。それで、呼吸力と吸収力を高めること。それしかないかもしれません。しかし、それに加えて、いつも間合いに気を付けるのも、リアルな感覚に少しプラスになるのではないでしょうか。

 受けとしては、蹴られる、あるいは相手のパンチが入れる位置に、気を付けないといけません。割と最近気づいた例を挙げます。横肩取りの技です。なぜ受けが取りの手を追わなければならないのか、といつも疑問に思いました。多分、それは、そうしないと、取りの手刀に打たれる、あるいは掴んでいる取りの肩からそのままに投げられるからです。同じく、片手取り隅落としの場合は、受けに足を入れ替える傾向はあるが、しかしそうすると、取りに簡単に陰部のところを蹴られます。

 今後は、受けとして打たれる隙間を開けない、または取りとして受けが適当な動きをしないと、自分のパンチか蹴りが入るのを意識する、という体の動き方に気を付けていきたいです。このような体の位置付け方のシステムを意識すると、あまり変な技にもならないだろうと思います。今まで感覚的、直観的に技をしてきたが、将来にはもし教える時が来るならば、変な技を伝えたくないので、このような細かいところ、より武道的理屈も理解したいです。

 以上はこの二年間でよく考えたことで、またこれからも研究していきたいところです。でも、須磨師範をはじめ、今泉先生、大國さん、大阪合氣塾の皆様がいらっしゃらなければ、以上のことを考える機会がなかったと思います。また、昇段審査を見ていただた、また受けをとっていただいた先輩の方に大変感謝しております。癖のあるところ、またはまだ理解していないところがよく出てきたと思います。いつも頑固な私ですが、それらを、一つずつ、今後の普段の稽古から直させていただきたいです。私にも、撮ってもらったビデオで、反省すべきところがたくさん見えました。それらをも含めて色々考え直し、これからも頑張っていきたいと思います。

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