お知らせ

初段に合格されましたH山さんの感想です。

7月25日

合気道と私

 思い返せば7年前、それまで定期的な運動として行っていたフットサルのメンバーが徐々に集まらなくなり、自身も結婚してライフスタイルが変わったため、心機一転、この機会に定期的な運動(健康管理)+護身術習得(家族を護る)+ストレス解消(仕事のパフォーマンス向上)のため、以前から興味があった武道を始めようと思い立った。その際、大学時代に体験入部した少林寺拳法にするか、それとも護身術の代表格である合気道にするか、決め手がなかったため、ひとまず自宅から通える道場・教室に連絡したところ、最初にお返事いただき、合気道の道へと後押ししてくださった方が、現在お世話になっている須磨師範である。

 合気道を始めた当時は、こちらが技をかけたつもりでも全然効かず、力強くも美しい技を次々と繰り出す黒帯・袴姿の先輩方に圧倒されていたため、いつしか自分もあんな風になれれば、という思いを持ちながら稽古を続けていた。しかし、いざ初段審査が目前に迫ってくると、果たして自分はあの先輩方に近づけているのだろうか、ふさわしい内容を備えているのだろうか、と知らず知らずのうちに自問自答しながら、心のどこかで初段審査を受けることに畏れを抱き、見えない壁を感じ、躊躇していたように思う。時間はかかってしまったが、このような私を押し出し、ここまで稽古をつけてくださった師範をはじめ皆様に、心から御礼申し上げたい。

 これまで合気道の稽古を続ける中で感じていることは、合気道の技には自分の心が表れている、ということである。私の場合だと、焦ってしまう、自信を持ち切れていない、相手に合わせ過ぎてしまう、といった心のありようが、急いでごまかしたような技が、中途半端で、しかも軸がブレている、といった形で表れていた。これが不思議なもので、自分の中では師範の技を見た通りにしているつもりなので、最初は何がおかしいのか、気付かないのである。技の直すべきポイントを指摘されると、これまた不思議なもので、はっと自分の心のクセに気付かされるのである。

 他にも、技に力が入り過ぎていることを指摘されたことで、仕事や育児等、何事にも力が入り過ぎてしまう傾向に気付かされ、日常生活でも必要に応じて力を抜くこと、しなやかに柔軟に対応することの大切さを教えられた。また、普段から呼吸や姿勢、間合い(やるべきことをぎゅうぎゅうに詰めすぎない)を大切にすることで、焦りをある程度コントロールできるようになってきたように思う。このように合気道を通じて、自身の心技体が修練されていることを実感している。

 今後も、1つ1つの技を大切に、しっかりと自分の軸を持ってかけることができるよう、息子とともに精進していきたい。
以上

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