12月の審査で昇段審査を受けられるO崎さんの小論文です。
12月19日
初段審査を前にして
実に長い時間だったと感じています。入門したのが平成17年5月頃だったと思いますので、8年半になります。仕事が忙しい時期は1ケ月間以上稽古に行けないことも何回かありましたし、年2回程の割合でぎっくり腰もやっていましたので、本当にとびとびしか練習が出来なかった気がします。
稽古事は1回休むと3回分逆戻りする等と言われますが、せっかく教えて頂いた事も長く休んでいる間にすっかり忘れてしまい、毎回ゼロからのスタートでしたので感を戻すのに苦労しました。それでもやめようと思った事は一度もありませんでした。それは先生はじめ諸先輩方の人柄の良さというか、常に暖かく迎えて頂けたので、その気持ち良さに引かれて稽古に来ていた感じがします。
入門当時は人数も少なく、私の他は有段者ばかりで他の武道のような気合いもなく皆さんもくもくと静かに稽古されている姿は「ちょっと怪しい武闘集団」という印象でした。が、それが妙に私の肌に合い今日まできてしまいました。
道主研鑽会等でたくさんの人が集まりますが、皆さんの人相がいいのに驚いた事があります。私の娘は子供の頃OOを習っていましたが、大会を見に行きますと 子供の頭を叩いてる父親がいたり、怒号が聞こえたり、とにかく人相の悪い人が多かったので嫌な気持ちになった事があります。「合気道は唯一、神が降ろされた武道である。」と霊能者の方から聞いたことがありますが、合気道の理念の高さが人相にも表れるのだと思います。
私が続けられた要因の一つに道主の受けを取らせて頂いた経験があります。まだ五級にもなっていない頃でしたが、2月に行われた田辺の道主研鑽会で運よく道主の片手を握らせて頂くことが出来ました。
思い切り握った瞬間、ジェットコースターに乗ったような気分になったと思ったら、仰向けに転がっていました。痛くも痒くもなかったのに、どうして転がっているのか、わからないのがとてもおかしくて笑いそうになったのですが、その時道主が「気持ち良かったでしょう」と言われたのを今でもはっきり覚えています。攻撃しようとしたのに、理由も分からぬまま投げ飛ばされて思わず笑ってしまうという体験は合気道の神髄の一端に触れたような気がしました。
自分も含め、身の周りにはまだまだ自分勝手な考え方、行いが横行しているので、色々なところでぶつかっています。先生の技の御指導で「ぶつからない」と表現をされる事が多々あります。攻撃してくる相手に対して、迎撃せず、ぶつからないというのは非常に難しい事だと思いますが、その精神で仕事や普段の生活が出来れば争いのない平穏な人生が送れる気がします。
今はほんの少しだけ手足を出す順番がわかったような程度ですが、歩みは遅いかも知れませんが皆さんのお力を拝借し少しでも長く楽しく稽古が出来るよう精進していきたいと思います。
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