お知らせ

4段審査を受けられるO國さんの小論文です。

3月23日

審査に当たり今思うこと

 今まで7回の審査を受け、8回目の審査となる今回、従来上に様々な思いを巡らせました。稽古を重ねた経験もあるのでしょうが、直前に佐々木先生が亡くなられた事が大きな要因であると思います。

 佐々木先生には講習会にお見え頂いた時に接することができただけなのですが、何かとても濃い時間を頂けたと思っています。お話7割、技3割の講習会でしたが、とても感銘を受けました。講習会に前後して飲食をご一緒できたりお風呂に一緒に入ったりと、とても楽しい時間も頂けました。「笑え」「呼吸・姿勢・間合い」「中心を立て、中心を通り中心から出て中心に戻る」「三角で崩し、丸く捌いて四角く収める」「陰陽の力」「上がたら下がる」等々、合気道の技は勿論ながら人生そのものに通じる話、キーワードを頂きました。とても感謝です。佐々木先生、須磨師範をはじめとする諸先輩から教えて頂いた様々な事をこれから始める方や、現在級位にいらっしゃる道友の方々に伝え思いを紡いで行きたい、その思いで一杯です。そうすることができれば、いやそうすることが教えて頂いた佐々木先生をはじめとする師範方々へのせめてもの恩返しだと思っています。

 海外でよく言われるようですが、合気道には禅的要素が大きいと思います。即ち技術的な要素以外に観念的な要素があることです。試合がない、でも相手と対峙すると、明確に互いの優劣が分かる場合が有る。試合がある武道やスポーツならば、恐らくそこで勝敗は決するのでしょうが、合気道は試合がない故に、自分自身で劣勢であることを認識しなければならない。自身が謙虚でなければいけないのだろうと思います。とても難しい事だと思います。当塾に多くの塾生の方がおられ、一緒に稽古に汗を流すことができるのがとても有難い、幸せな事だと感じています。

 審査は一つの区切り、気づきを持つことができる場だと思っています。実は今回の審査前に怪我をしました。受身の技術が足らないために起こしてしまいました。自己満足にも程遠い動きしかできない中での審査です。然し、いつも須磨先生が言われる通り、合気道は武道であり、武道であるが故に最悪の状況下で如何に最高の対応をなしうるか、その命題に今回は挑みたい。同じするのならば、感動・感激を与えないと駄目だと佐々木先生は言われました。正直、今の自分にそのようなことができる自信など全くありません。それどころか、毎回、道場に立てるのか、座れるのかそれでさえ不安で自信が無く悩んでいる状況です。審査を受けずに逃げたいという思いすらあります。しかし、今日まで一緒に稽古を頂いた方々もおられ、指導頂いた師範もおられる。折角のチャンスに挑まなければ今日まで何を稽古してきたのか、意味がなくなるような気がします。

 精一杯、審査の時間を過ごしたいと思います。大阪合気塾で稽古をする塾生の方々と時間を共有しこれからも共生していくことができる、改めての第一歩として、審査に臨みたいと思います。引き続き良い汗を掻いていければ、これに勝る幸せはないではないかと思っています。宜しくお願いいたします。 追伸  情けないことに怪我(しかもこのタイミングで)をしました。稽古ができない時(所謂ドクターストップですね)もありました。その際、改めてプロとは凄いと痛感しました。自分の体調如何に関わらず、稽古生は来られるわけで絶対に休めない。当たり前の様に稽古を続けなければならない。それがどれだけ凄いことなのか。身震いがします。この道場で稽古を積むことのできる幸せに浸る日々です。引き続き宜しくお願い申し上げます。 

 

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