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Tさんの4段審査での論文

10月29日

須磨キャラクターmiddle前回の4段審査を実施した際に提出して頂きましたTさんの論文です。ご参照下さいね。

合気道

私の合気道との出会いのきっかけは、意外にも中学校に入学して直ぐに入部した陸上部。その陸上部の先輩の誘いにより始めました。当時、合気道とはどんなものかも知らず筋トレでもするのかと気楽についていった先が道場でした。出会うものがすべて新鮮な当時、無類のカンフー映画好きも手伝って、何の抵抗も無く、即日入門しました。それまで、重い小児喘息を患い、学期の半分以上欠席したこともある程、病弱な体でしたので、親の反応といえば、「ほんまに出来るの?」でした。

縁は異なもの味なもの。このような偶然とも言える合気道との出会いのお陰で、現在の師 須磨先生との出会いが生まれました。大阪で就職後二十代の後半は、大阪より和歌山の道場まで月に数回通いながら、小嶋会の道場にビジターとして、月に数回稽古に参加しておりました。その小嶋会の道場でたまたま大阪合気塾との合同稽古が実施され、初めて須磨先生と稽古させていただきました。初めての稽古は、張り手はとぶ、重くてなかなか倒れないため取っ組み合いとなる等で、体力が掃除機で吸い取られるような感覚に陥り、遂には、「よっしゃ!こい!」等という無茶苦茶な言葉が飛び出す始末・・・。自らの体の統制が利かず私が先生にしていることは、相撲+レスリング+ストリートファイト+??・・・全く合気道の形にならなかった稽古に稲妻のような衝撃をうけました。「こんな稽古もたまにはいいでしょ」と微笑みながら須磨先生が仰いました。今となっては忘れなれない貴重な出会い。「どうしたら、こんなに強くなるんだろう?」いやでも湧いてくる探究心を、さらに引き出すかのように、稽古終わりに、小手返しの乱取りをして頂き、先生を睨み付けながら「1時間や2時間でも飛び続けてやる」という気概は、僅か十分ももたず、息も絶え絶えとなり、哀れにも体の統制を失い、畳に沈んでしまいました。あまりにも格好の悪い出会いでしたが、須磨先生より、「うちの道場に来ませんか」と声を掛けて頂いたのには、先生の器の大きさを感じました。客観的に須磨先生の技を拝見すると、きれいで力みがなく涼しい顔で技をされています。このギャップも魅力の一つでした。結婚を機に和歌山での稽古も困難となり、恩師橋本先生に許可を頂き、須磨先生が指導する大阪合気塾道場に入門。この道場で、先生をはじめ、諸先輩方、合気道仲間と汗を流すことにより、生きるために必要な強さを今尚頂いています。

 「中心を立て、分を明らかにして、中心に結ぶ」

何事も姿勢と間合いを意識し、「相手を立て自分自身もしっかり立ち、己の分をわきまえて自然の理を理解すれば、心が結ばれる」のかもしれません。口で言うのは簡単ですが、基本を大切にして無限に存在する自然の理を理解しなければ、到底実現できるものではありません。陰陽、動不動、虚実、遠心求心など相反するものが同時存在する。これも自然の理の一つなのだと解釈しておりますが、今後に於いて自分なりに解釈した自然の理そして未知なる自然の理を一つでも多く心と体で理解したいものです。そして、合気道の技に体現できれば、尚更嬉しい限りです。

この度、四段の昇段の機会を与えて頂きましたが、段位に自惚れることなく、逆に「今の自分は、この程度だ」と、心に突きつける、次の目標を明確にさせる良い機会にしたいと思います。そして「知るはその場の恥、知らぬは一生の恥」毅然と地に足をつけて、恥を恐れず、しっかりとこの貴重な経験を心と体に刻みたいと思います。

 

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