初段審査に合格されました宝塚教室のMさんの感想です。
4月03日
初段審査までを振り返り
この度の初段審査にあたり、先ずは日頃よりご指導をいただいている須磨師範を始め、羽賀先生並びに塾生の皆様に心から感謝を申し上げます。こうして合気道を続け、一つの節目まで続けることができたのは、偏に先生方の丁寧なご指導と先輩方の導き、そしていつも温かで刺激的な宝塚教室の雰囲気と、全てにおいて感謝しかありません。
私も、子供に合気道を習わせるうちに「いつの間にか親が一番夢中になった」ひとりです。ただ、子供が入会した当初は、自分が道着を着るとは全く考えておりませんでした。私は子供の頃、空手を習っておりましたが、昭和にありがちな「気合・根性・忍耐」の町道場で、稽古が何よりも嫌でした。
正月の初稽古の恒例は、巨大な氷柱の中の果物を「お年玉」として素手で割って奪い合うという過酷な行事で、こうした記憶のおかげで自分は武道を遠ざけていました。
長男と次男に合気道を習わせようとしたのは、少しは厳しい教室で、子供の勉強になるだろうと考えたからなのですが、初めての稽古見学は私にとって衝撃でした。羽賀先生と子供たちが「笑顔で楽しく」稽古していたからです。自分の子供のころとは全く違う風景でした。気づけば自分が稽古を始めていました。
そのうち自分の子供の頃を思い直すようになりました。辛くて仕方がなかった空手を辞めなかったのは、出来なかったことができるようになる悦びや、昇級で帯の色が変化する達成感があったからだと振り返るようになりました。そして、鬼のように恐ろしかった先生の空手が格好良く「自分もあんな風になりたい」と見ていたことも思い出しました。
この「格好いい」が、私の武道の原点であり、いま合気道を楽しく続けている理由だと思います。
兎に角魅了される須磨師範の合気道や、力強くもありしなやかで奥深さを示される羽賀先生の合気道、宝塚教室には今泉先生、大國先生、須磨一夫先生、小林先生が週替わりでご指導いただく(今思えば非常に豪華な)時期がありましたが、それぞれの先生の合気道、そして塾生の皆様、どなたを見ても必ず「格好いい」があり、「真似したい」と感じるようになりました。
残念ながら、私には自分の稽古方法を分析・表現するほどの知見はまだありません。間もなく50歳にもなるのに稚拙なことで恐縮ですが、先生方の稽古を拝見して「格好いい」と感じ入り、ただ愚直に真似しようとすることが私の稽古法です。ただ、ここ数年は「なぜ格好いいのか」も考えるようになりました。
「姿勢がきれい」(体軸や左右のバランス)「力強い」(丹田を起点とする)「ぶつからない滑らかな動き」(結びと細かな体捌き・脚捌き)など、基本の重要性を考えたり、興味や思索も尽きませんが、原点は常に子供のような憧れの気持ちです。(非常に恥ずかしいのですが)
休会した長男が5年ぶりに再開し、5年間続けていた次男は野球という新たな挑戦を始め、昨年から始めた長女が今回十級に合格するなど、我が家は常に合気道が家族の接点となっています。この環境を与えてくださっている須磨師範、羽賀先生、大阪合気塾の皆さま、そして毎週6着の道着を洗濯している妻に感謝をしつつ、一日でも長く稽古と研鑽を積み重ねて参りたいと思います。
今後ともご指導のほど、宜しくお願い申し上げます。
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