お知らせ

2段審査に合格されましたSさんの感想です。

3月25日

合気道との出会い

 大阪合気塾とご縁をいただいて2年あまりとなりました。須磨師範、指導員の方々、共に稽古をしてくださっている皆さまにこの場を借りてお礼申し上げます。このように雰囲気のよい道場に来られたことは本当にラッキーです。

 私が合気道を始めたのは大学の部活動からです。毎日のように稽古をし、帰宅後は木剣の素振りをする、というような時期もありましたが、社会人になって徐々に合気道から離れてゆきました。さらにこの20年ほどは運動らしい運動を全くしない状態で還暦を過ぎ、気がつけばいろんな場面で体力や運動能力の衰えを感じるようになっていました。そこで老後に備えて正しい体の使い方を学べる運動を始めたいと思い、いろいろ考えましたが、結局もう一度合気道を始めてみることにしました。

 改めて合気道を始めるに当たって須磨師範から、「以前の合気道と違うところがあるだろうけれども、初心者のつもりで稽古をしてください」、と言われました。白紙の状態からスタートするのが私の希望だったので、まさにぴったりの言葉をかけていただいたと思うのですが、受け身はもうちょっと覚えているつもりだったので、ちょっとがっかりでした。また、後ろ受け身を繰り返すと目が回るとか、跪座をすると足の指が痛いとか、若いときとは違う経験もいろいろしました。

 さて、合気道から長く離れてはいましたが、当時学んだことは生きてゆく上でとても役立っています。印象深かったものを一つご紹介します。ある日の稽古で師範が、「合気道では相手を見ない。中でも相手の目を見るのは最低だ。例えばやくざに絡まれているとして、相手の目を見たら怖くてすくんで何もできないかもしれない。でも相手を見ないで殴りたくなったらその瞬間に殴ったら、相手はノックアウトされているかもしれない」とおっしゃいました。稽古が終わって、中高と剣道部だった仲間に剣道の場合を聞いてみたところ、目は情報量が多いし、相手が飛び込んでくるタイミングがわかったりするから結構見ると言っていました。まあ、それはともかく、このとき得た体験は、その後生きていく上での大きな糧となっています。うまく表現できませんが、例えば受験生の方だと、受かりたい欲があるので、ついつい勉強をしてしまうと思います。のどが渇いたら水を飲むくらいに単純な話です。でも案外、かえって勉強する気が起きなくなったり、勉強から気をそらせてくれるものに熱中してしまったり、あるいはしなきゃいけないからと、無理矢理能率の悪い勉強をしたりすることもあるでしょう。ストレスフルな課題を前にしたとき、人はなかなか自然でいられなくなります。でも、実は自分の中には計り知れない力があり、それを信じて自然に生きてゆけばそれなりになんとかなる、そのことを気づかされました。

 最後に、今回正しい体の使い方を学びたいというのが合気道を始めた動機ですから、それは大事にしながら稽古をしてゆきたいと思っています。でも、それ以前に、投げたり投げられたりして汗を流すだけでもとても心地がよいのだということを思い出しました。運動すること、人と言語以上のコミュニケーションをとれることという、2つの大きな欲求を満たしてくれる、それだけでも十分なのかもしれません。これからも体には気をつけながら長く合気道を続けていきたいと思います。

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