初段審査に合格しましたAさんの感想です。
3月23日
合気道を通して学んだこと
先ず、日頃よりご指導頂いている須磨師範はじめ、共に稽古研鑽頂いている塾生の皆様のお陰で、今回初段審査を迎えることができたことを心より感謝申し上げます。
合気道は”心身の練成を図ることを目的とし、老若男女幅広い年齢層でも稽古ができる”⑴と言われています。私も、心身を鍛えることができるものを探していた時に合気道を知りました。その頃勤めていた治療院の先輩が奇遇にも合気道の稽古をしており、「治療にも役立つ」と言って道場を見学させてくれたのが最初の合気道との出会いでした。目の前で繰り広げられる技と心身の練成がどう関連するのか全く理解できませんでしたが、前受け身の練習に魅了されて入会を決めたことを覚えています。
稽古を始めた当初はわけがわからず、又、私はもともと人と接することが苦手だったこともあり、稽古に行くのが苦痛で仕方ありませんでした。こんな私を寛大に見守って下さった当初の道場の皆様には感謝しかありません。
その後、何度か引っ越しをして、その地でも道場を探して通うこともありましたがあまり続かず、その後2年間ほど全く合気道をしていませんでした。大阪に戻り合気道のこともすっかり忘れていた時に、とある本を読んでいたところ再び合気道という言葉を目にしました。そして近所にあった大阪合氣塾の体験稽古に参加させていただくことを決めました。
初めて須磨先生の技を拝見した時、なぜだかはわからないのですが胸が熱くなり涙が滲みました。いろいろ葛藤もありましたが、思い切って入会を決めました。しかし、稽古に行くことが精神的に辛いのはあまり変わらず苦痛でした。
今は稽古に対する精神的な苦痛がだいぶなくなりました。それは、その間に看護学校で否が応でも協調性を強いられたことで心が鍛えられたこと、あとは、日々の稽古の中で、自分の心の在り方とそれがどのように技に反映するのか、ということを自分なりに学ぶことができたからだと思います。
開祖の御言葉で「真の武道には敵はない、真の武道とは愛の働きである」⑵というものがあります。これを見たとき、自分がいかに他者を拒絶し信頼していないか、ということに気が付きました。又、合気道には試合がないと頭では理解しているつもりが、稽古をしていると常に相手を敵視している自分にも気付かされ、間合いがうまくとれず、どこかに力が入るのだと思います。入会したばかりの頃、須磨先生が「相手の事を好きにならないと!」と仰っていたことを思い出しました。
また、当初「治療にも役立つ」と、治療院の先輩が仰っていたこともその通りでした。私は、関節拘縮や麻痺がある患者さんのリハビリやマッサージをしていましたが、合気道の稽古をするようになってから、皮膚と皮膚の間に隙間がないような強い関節拘縮も、動かす方向性を考えながら無理なく緩めることができるようになりました。また、ベッドから車椅子への移乗介助なども、患者さんとの距離感や重心移動を感じながら行うことでスムーズにできるようになりました。
合気道の稽古を最初に始めてから10年以上経ってしまい、その間何度も辞めようと思いながらも何とかここまで繋いで来れたのは、合気道による様々な教えが自分では気づかないところで少しずつ身についていたからではないかと思います。気持ちが萎える時もありますが、そんな時は「修行の道にはあてもなく、終わりもない。一生が修行であり、無限続く道程。」⑶、「人生は一瞬一瞬のプロセスをプラス思考で生きる。」⑷ということを思い出し、先を焦らず今を大切にして稽古していきたいと思います。
参考文献
⑴公益財団法人合気会.”合気道について”.http://www.aikikai.or.jp/aikido/about.html,
⑵植芝吉祥丸.合気神髄.柏樹出版
⑶DVD”植芝盛平と合気道”.どう出版
⑷佐々木の将人師範インタビュー記事「一瞬一瞬を明るく生きるのが人生だ」.季刊『道』.2005
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