お知らせ

2段審査に合格されました宇治教室のFさんの感想です。

4月04日

弐段審査を終えて
 
 去る3月21日の審査にて、弐段に昇段させていただくこととなりました。宇治道場でいつも丁寧に、かつ和やかにご指導いただいている羽賀文彦先生には、心より感謝申し上げます。技についてのご教示はもちろんのこと、場の雰囲気づくりや前向きな気持ちを引き出すご指導のあり方そのものにも、日々学ばせていただいております。審査の労をお取りいただいた須磨弘先生にも、厚く御礼申し上げます。

 宇治道場のみなさまには、いつも稽古をご一緒させていただき、まことにありがとうございます。居残り稽古にもたびたびお付き合いいただき、深く感謝いたしております。

 さて、数年前に初段審査を受けさせていただきましたが、それ以来、なるだけ意識するように心がけたのは、基本技の個々の動きを見直すことでした。初段審査では、できると思っていた技がきちんとできなかったり、スムーズでなかったりということが多く、反省点ばかりを痛感しました。片手取入身・入身転換の滑らかさ、一教での足の位置取りや運び、呼吸法における体幹の使い方、その他、さまざまな技での臍下丹田の意識などについて、少しでも上達できればと思いながら、その後の稽古にのぞみました。

 あわせて、受けをしっかり丁寧にすることも意識しました。怪我をしない受けをきちんと身に付けることもさることながら、丁寧な受けを心掛けることで、自分が取りのときに、どうすればスムーズに技をかけられるのか(受けをとってもらえるのか)を多少なりとも考えるようになりました。

 とはいえ、まだまだ、それらを体得するにはほど遠く、弐段審査を受けさせていただくまでの間に、ようやくそのような問題意識が芽生えたというのが正直なところです。今後の稽古のなかで、これらを少しでも高めていければと思っている次第です。

 それにしても日々実感しますのは、稽古はいろんな方々から学ばせていただく場であるということです。上位者の方はもちろんのこと、始めて日が浅い方、あるいはジュニアの子たちと稽古していても、脱力の仕方や足の運び、間合い、体幹の使い方や安定性について、学ぶところが多くあります。ちなみに、妻も1年少し前より道場でお世話になっているのですが、家で時折、一緒に基本技の稽古をしたりするときでも、ヒントを得ることがしばしばあります(もっとも、私は気が済むまでやりたがるので、往々にして妻には億劫がられていますが……)。

 と同時に、同じ技をするにしても、受けの人によってうまくいったりいかなかったりすることも、日々痛感します。「かたち」「やり方」のみに気を取られるのではなく、受けの方それぞれに合わせて、どう結びを意識するか、どこに足を踏み入れるのか、どの方向に相手の力を流していくのか、等々を考える必要性を日々感じているところです。

 以上の事柄は、考えてみれば合気道のみならず、他にも通じるものがあるように思います。私的なことながら、私は半ば仕事、半ば趣味で、少しばかり昔の史料に触れることがあるのですが、そこでも、合気道の稽古との連続性を感じます。史料を掘り起こし、読み解くにあたって、予断や既存の図式にとらわれてしまうと、史料の背後に浮かび上がる豊かさから結果的に目を背けてしまいます。当初の予想との齟齬を直視し、史料を前に謙虚になることが、史料の背後に見え隠れしている意外な歴史に気づくことにつながるように思います。合気道の稽古においても、謙虚さをもって受けや取りに臨むことから、吸収できるものが広がるのではないかと考えております。

 もっとも、かく言う私自身がそれを実践できているかというと、それも心もとないところではありますが、少なくとも、日々これらの事柄を意識しながら、稽古に臨みたく思っております。今後とも変わらぬご指導のほど、どうぞよろしくお願い申し上げます。

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