5段に昇段されましたO國さんの感想文です。
10月19日
五段位昇段に思う
この度の昇段允可を賜るに当たり、思うところを述べたいと思います。
先ず、日頃よりご指導を頂いている須磨師範をはじめ、一緒に稽古研鑽を頂ける塾生の皆様に感謝を申し上げます。又、関西地区合同研鑽会等で折に触れご指導・気づきを頂ける各道場の師範方にも厚く御礼を申し上げます。
当初、四国の新居浜・西条にて合気道の稽古を始め、転勤と共に大阪合気塾にお世話になり早18年が過ぎようとしています。合気道に出会えたこと、大阪合気塾にお世話になったことも偶然、否、必然であったと思っています。その間に、佐々木将人師範に出会えたことも、とても大きな財産となっています。現在行っている仕事でも、使う言葉には拘りを持っていますが、佐々木先生が示された言葉の数々には今もって助けられ、気づかされる事が数多くあります。本当に有難い事です。
少し話が逸れますが、私は家族より常に『変人(自身では?ですが)』と言われています。これについて塾生の皆さんも大きく肯首される事かもしれません。自身で変人ではないと思う事と周囲の方々との意識のギャップがどれだけの軋轢を産んできた事か。これに少しでも気づく事が出来たのは、合気道の稽古のお蔭だと思っています。師範より常々『出会いと繋がり』を大事にし、中心を見つけていく事が大事、とご指導を頂いています。又、自身が堅くなり力がはいれば自ずと受けの方をはじいてしまい、稽古になりません。自分の生き方全てを見直す契機となりました。
勿論、未だに幾多の意識のギャップが有り、それ故の多くの軋轢を産んでいる事か。反省こそすれ、褒められたものではありません。特にこの数年はこのような思いをずっと持ちながら稽古を続け『自分は(生きるのが、否合気道が)下手だなぁ』と強く思い続けてきました。この『変人気質』は変わらないのでしょうが、自身の意識が『自分は変人だ』と素直に思う事ができれば、少しは周囲との軋轢が減ってくるのではないか、と自身では期待しています。果たして周りからはどのように見られ、感じられているのでしょうか。
今般の昇段は、須磨師範に推して頂きました。今までの稽古を見てではなく、今後への期待を持って推して頂いたものと理解しています。もっと変わらなければならない。しかし、茲許数年は年々動かなくなる体や家族の環境等、稽古を続ける事に疑問を持ち、躊躇せざるを得ない状況が続いていました。が、それも見方を変える良い機会であり稽古を継続する事に意味があると考える良い機会だと受け止めて、今日に至るまで稽古を続けてくることが出来ました。演武を拝見すると、目立つ格好の良い演武もあります。自分もあのように出来ないものかと考える事も少なくありません。しかし、道主の演武になぜ見入ってしまうのかと考えると、基本がきちんと出来ているからだと思うのです。道主も須磨師範も基本が大事だ、その基本を繰り返し行う事により個性が出てくるのだ、と仰います。
愚直に基本の稽古を積重ねて、いつか自分の個性が滲み出てくるような技が出来るようになりたいと思います。合気道になぜ試合がないのか、開祖が言われた、『合気道は万有愛護生成化育の道である』との意味は何なのか。自問自答しながら稽古を積重ね、稽古をご一緒する中で、仲間達とそのような会話をしていければ、これに勝る幸せはありません。
人は幸せを追い求めて生き続けていくものと言います。家族をはじめ周囲の方々の幸せが少しでも増えるのに役立てられるよう、体の自由と周囲の環境が許されるよう、これからも研鑽を続けていきたいと思います。
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