初段審査に合格されましたKさんの感想です。
11月19日
今回、初段を允可されるにあたり、ここまでを振り返えってみることでいくらかでも今後の精進の道すじになればと思う。尚、自分自身を振り返り問いかける独白のような形となったため、「です」「ます」は省略させて頂きました。
先日の初段審査は、受けをとって頂いたH氏はじめ見取り稽古をされた方にはわかると思うが自分でも想像できなかったくらいの散々な出来だった。自分自身に大いに失望させられた。なぜそうなったのか。言い訳や口実も含めいろいろ考えたが結局のところ、稽古不足に尽きる、というところでハラに落ちた。
一つ決めたことがある。それがどういうことかは書かないが、いつの日か初段審査の経験が良かったと思えるためにその決めたことをやって行こうと思っている。
もともとやってみたいと思っていた武道を始めたのは、四十代前半のころ。
学生時代・社会人とサッカーを中心にやってきたが、歳を重ねても向上が望めるものを探していたのだ。相手方と一対一で向き合うことになる個人競技に憧れもあった。
はじめに初心者に広く門戸を開いていた古武術(居合中心)の道場に出逢い次に全力の真剣勝負がしてみたくなり剣道を始めた。そして、体術の基本の重要さや不思議な操体の魅力を感じて、合気道の門をたたいた。
人間の体とは不思議なもので、他人と組んだときに相手が力で押し込んでくれば、その力に反発する。反対に、力が抜けた相手なら、反発することもなくすんなりと同調してしまう。朝の満員電車の入口にドカドカと押し込んで行こうとすると、なかなか入れてもらえないが自分が水になったつもりで染み込むようにすれば、意外にすんなりと隙間に入れる。
人間関係も一緒なのだと思う。力で押してくる者には反発を感じる。自分が緊張すれば周囲に緊張を与えるし、不安になれば不安を与える。どんなに正論でも、感情を剥き出しにする者の意見は通らない。
反対に、平常心で語る者には説得力があり、周囲の良い反応を引き出してより強い推進力を得ていく。結局のところ、よく言われることだが人間の体と心とは一体のもので、人と人とは呼応するものということなのだろう。
いずれの道場でも、自分は「力が入っている」と指摘された。その通りだ。ということは、会社でも力が入り過ぎているのではないか。過去にやってきたスポーツでも力が入り過ぎていたのではないか。余計な力が入ることで、自分ばかりか周囲の良い反応を削いでいないか。
はっきりした道すじが見えるわけではないのだが、こうした問いかけをハラに落とし込んで合気道を日常に重ね、日常を合気道に重ね、今後も精進して行きたいと思っている。
この場を借りて、熱心に指導してくださる須磨先生と今泉先生、H氏はじめ一緒に精進してくださる大阪合氣塾の塾生の皆さんに厚く厚く感謝を申し上げたい。また飲み会好きの僕に付き合ってくれる方々にも!
皆さん 本当にありがとうございます。またこれからもどうぞよろしくお願いいたします。
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