お知らせ

道主巻頭言

1月12日

須磨キャラクターmiddle     「合気道探求」39号より道主巻頭言として「仕立て」について合気道道主 植芝 守央先生が書かれました文の一部を抜粋致しますのでご参照下さい。 同じ洋服やスーツ、着物でもオーダーするというのと仕立ててもらうというのでは同じ仕上がってくるものでもなんともニュアンスが異なって感じます。「仕立て」という言葉の中に際立った技術の布の裁断、縫う、といった手仕事の魂を感じることが出来ます。心をこめた、厳しい修行の末に磨いた技術がこもった作品が「仕立て上がり」なのでしょう。だからこそ、こうして仕立てあがったものは体の個性をつかみ、動きに合わせ、着心地の良さとなるのではないのでしょうか。こうした「仕立て」はせかされない時間の中にこそ、機械やコンピューターでははじき出せない人間一人一人の体に合わす技が生かされていくのだと思います。 (中略)  例えば、私達は日々の生活の中で自分自身が生きていることを意識したことがあるでしょうか。(中略)  人が自らの考えで、手や足を使って生活するという当たり前の事を意識せず、感謝の気持ちを持たないからこそ、「仕立て」のように、人間が自分たちの手で丹精込めて物を作る事や、じっくりと時間をかけて丹念に作り上げることが日常からかけ離れて行ってしまっているのではないかと思うのです。これでは人としての感性が磨かれていくはずはありません。  合気道の日々の稽古において、すでに当たり前となってしまっている当たり前の教えを今一度意識し、大切に思い、感謝することが必要だと思います。稽古が出来る健康に感謝し、道場、一緒に稽古する門人の方々への感謝など、全ての所作を見直し、自分自身の心構え、気構え、稽古のあり方など日々に流されず意識することを私自身に言い聞かせたいと思っています。そして良い「仕立て」の合気道を次世代へと継承していきたいと願っています。

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